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真央 ソチ SP 母 食堂 [スポーツ]



ソチ五輪フィギュアスケート女子のショートプログラム
(SP19日=日本時間20日未明)の 滑走順が17日、
決まりました。浅田選手は、最終30番での演技となりました。


銀メダルで悔し涙を流したバンクーバー五輪から4年たった。


雪辱を期して厳しい練習をしてきた浅田選手のホッと
一息つける場所が、愛知県豊田市で加藤節子さんが
切り盛りする大衆食堂だそうです。


「豊田のママ」と呼ばれる加藤さんは、浅田選手の
大好きな「どて煮」を仕込み吉報を待ち望んでいるそうです。

 

一軒家の食堂の引き戸を開けると、厨房では、もつを
味噌で煮込んだ名物のどて煮がぐつぐつと音を立てる。



「うちの看板メニューなの。」


三角巾をかぶった加藤さんは得意げに話す。



夫の芳則さん(58)の祖母が、店を開いたのは55年前です。



嫁いだ加藤さんは25年間、その味を守り続けてきたそうだ。



練習帰りの浅田選手が店に立ち寄ったのは、
約5年前の高校3年の時です。



母の匡子さんと2人で、おいしそうに料理を平らげ、

「こんないい店あったんだ」と

うれしそうな顔を浮かべたそうだ。



それからは、練習が終わると、浅田選手は毎日のように
匡子さんと店を訪れるようになったんです。



加藤さんを「ママ」と呼び、バンクーバー五輪の時も、
出国当日に選手団のユニホーム姿で来店したらしい。

 

浅田選手が好きなのは、どて煮や焼きサケ、カレイ、銀ダラ。



揚げ物は避け、野菜を多めに注文する。


「青身より白身魚が好き。小鉢に入った大根おろしも
必ず食べてくれる。」


焼き魚は、骨だけをきれいに残し、ご飯も1粒も残さない。


加藤さんは

「どうしたら、あんな風に食べられるのか
というくらいきれいなのよ」と

ほおを緩ませる。

 
匡子さんは、浅田選手がどちらの料理か注文に悩むと、
両方を選んで一緒に分け合った。


「本当に仲がいい親子だな。」


見ているだけでほほ笑ましくなったそうだ。

 
しかし、匡子さんは体調を崩し、2011年12月、亡くなった。


「見ていても、つらいのがわかる。ホッとできるひと時を与えたい。」


一人で来るようになった浅田選手を温かく迎え続けた。

 
今シーズンは、大きな大会の前に、どて煮を食べることが多い。


店に入って鍋を見ると、「おいしそうだねー」と声をかけてくる。


加藤さんは「ひそかなゲン担ぎなのかな」と想像している。


ソチに出発する前日の2月4日にも店を訪れ、
どて煮と銀ダラ、筑前煮を食べたそうだ。


「行ってらっしゃい」と声をかけると、浅田選手は「頑張ってきます」と
にっこり笑って、店内にいた全従業員と握手を交わした。


加藤さん夫婦は「気遣いができる優しい真央ちゃん」の大ファンだ。


「けがのないよう、悔いのないように演技をしてくれたら、それでいい。
帰ってきた時、また元気に迎えてあげたい。」

と言っていたそうだ。


心温まる話ですね。


心配されている真央ちゃんの精神面は、きっと大丈夫だと思います。


だって、天国のお母さんが見守ってくれているのですから。







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