SSブログ

渡部暁斗 ラージヒル 団体 日程 骨折 [スポーツ]



ソチ五輪ノルディックスキー複合個人ラージヒルに出場した
渡部暁斗選手が所属する北野建設の社員ら約280人は
18日、長野市内で競技を見守りました。


銀メダルを獲得したノーマルヒルに続くメダルへの期待が
高まったが、6位入賞に終わりました。


渡部本人は、五輪2レース目は難しい展開に陥ってしまった。


「勝負しようと思って前に出ようと思ったら足をすくわれた。
最後は諦めた選手を抜いただけ。転倒しなければなんて、
たらればの話しをしてもしょうがない。今日は順位を
つけなくていいんじゃないんですか。」と

さばさばと振り返った。

 

レースを振り返ると、前半飛躍は134メートルで4位に付けた。


139.5メートルを飛んだトップのフレンツェルとは33秒差。


ラミーシャプイと同時のスタートで前を追う形となった。


「タイム差は結構、難しい。周りの選手を見て
 展開できればいい」と

構えてコースに出たそうだ。



4キロ付近までに一旦、先頭集団の前に出たものの、
引っ張るまでには至らない。コースの狭さや周囲のペース
との兼ね合いで10人の隊列の中になった。


やや後方で前をうかがう形となった。


絶え間なく降る雨は


「全く気にならなかった。スキーも滑っていた」という。

 
落とし穴は勝負を懸ける最終4周目です。


足下が見えにくい硬い雪面の下りで、
単独で転倒し、万事休す。


それでも、そこから集団に追い付き、転倒した選手を
拾うなどして6位まで順位を上げてフィニッシュした。

 
個人戦を終えて、メダルと入賞した。


悪くはない結果だと思う。


「ワールドカップで言えば順当なところ。長い目で見れば
こういうレースもある」。


気負いとは無縁の25歳は、結果を冷静に受け止め、
団体戦へと向かう気持ちに切り替えた。


筋力トレーニングなどを指導する梅本稔コーチは、
今回の五輪中にソチから持ち帰った金メダルを
模したチョコレートを首に下げ、渡部選手を応援した。


「混戦の中で、彼は多分エリックをマークし、それが裏目に
出たのでは。次回に(金メダルは)持ち越しです」と

悔しそうに話した。


日程として20日の団体戦で今大会2個目のメダルを
目指すが、最年長の加藤大平(サッポロノルディックク)が
前半ジャンプで転倒し、左肘を脱臼骨折をするなど
大けがを負ってしまった。


ケガの状態を知らず、取材エリアで団体戦の欠場を
伝え聞くと約5秒間、絶句した。

「チームのキャプテンなんで、なんて言ったらいいか
分からない。頑張ります」。

前向きな言葉とは裏腹に複雑な表情を浮かべた。


「複合ニッポン」の新たな扉を開けられるか、
最後に大事な一戦を迎えることになる。



 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

真央 ソチ SP 母 食堂 [スポーツ]



ソチ五輪フィギュアスケート女子のショートプログラム
(SP19日=日本時間20日未明)の 滑走順が17日、
決まりました。浅田選手は、最終30番での演技となりました。


銀メダルで悔し涙を流したバンクーバー五輪から4年たった。


雪辱を期して厳しい練習をしてきた浅田選手のホッと
一息つける場所が、愛知県豊田市で加藤節子さんが
切り盛りする大衆食堂だそうです。


「豊田のママ」と呼ばれる加藤さんは、浅田選手の
大好きな「どて煮」を仕込み吉報を待ち望んでいるそうです。

 

一軒家の食堂の引き戸を開けると、厨房では、もつを
味噌で煮込んだ名物のどて煮がぐつぐつと音を立てる。



「うちの看板メニューなの。」


三角巾をかぶった加藤さんは得意げに話す。



夫の芳則さん(58)の祖母が、店を開いたのは55年前です。



嫁いだ加藤さんは25年間、その味を守り続けてきたそうだ。



練習帰りの浅田選手が店に立ち寄ったのは、
約5年前の高校3年の時です。



母の匡子さんと2人で、おいしそうに料理を平らげ、

「こんないい店あったんだ」と

うれしそうな顔を浮かべたそうだ。



それからは、練習が終わると、浅田選手は毎日のように
匡子さんと店を訪れるようになったんです。



加藤さんを「ママ」と呼び、バンクーバー五輪の時も、
出国当日に選手団のユニホーム姿で来店したらしい。

 

浅田選手が好きなのは、どて煮や焼きサケ、カレイ、銀ダラ。



揚げ物は避け、野菜を多めに注文する。


「青身より白身魚が好き。小鉢に入った大根おろしも
必ず食べてくれる。」


焼き魚は、骨だけをきれいに残し、ご飯も1粒も残さない。


加藤さんは

「どうしたら、あんな風に食べられるのか
というくらいきれいなのよ」と

ほおを緩ませる。

 
匡子さんは、浅田選手がどちらの料理か注文に悩むと、
両方を選んで一緒に分け合った。


「本当に仲がいい親子だな。」


見ているだけでほほ笑ましくなったそうだ。

 
しかし、匡子さんは体調を崩し、2011年12月、亡くなった。


「見ていても、つらいのがわかる。ホッとできるひと時を与えたい。」


一人で来るようになった浅田選手を温かく迎え続けた。

 
今シーズンは、大きな大会の前に、どて煮を食べることが多い。


店に入って鍋を見ると、「おいしそうだねー」と声をかけてくる。


加藤さんは「ひそかなゲン担ぎなのかな」と想像している。


ソチに出発する前日の2月4日にも店を訪れ、
どて煮と銀ダラ、筑前煮を食べたそうだ。


「行ってらっしゃい」と声をかけると、浅田選手は「頑張ってきます」と
にっこり笑って、店内にいた全従業員と握手を交わした。


加藤さん夫婦は「気遣いができる優しい真央ちゃん」の大ファンだ。


「けがのないよう、悔いのないように演技をしてくれたら、それでいい。
帰ってきた時、また元気に迎えてあげたい。」

と言っていたそうだ。


心温まる話ですね。


心配されている真央ちゃんの精神面は、きっと大丈夫だと思います。


だって、天国のお母さんが見守ってくれているのですから。







nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

礼留飛 由来 オーストリア スキー [スポーツ]



ソチ五輪でのラージヒル団体の銅メダル奪取の
立役者の1人の清水礼留飛について話します。


皆さんも、礼留飛(れるひ)と言う名前は、非常に
気になったと思いますが、俗に言うキラキラネームとは
まったく違うのでです。



姓は清水、名は礼留飛で、人呼んで「しみず・れるひ」と発します。



生まれも育ちもスキーにどっぷりなんです。



父・久之さんは複合の国体選手、2歳年上の兄・亜久里も
複合選手で、実はスキー一家なんです。



名前の由来は100年前で、スキーを日本に伝えたという
オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐にちなんでいるそうです。



少佐が初めてスキー教練をしたという新潟の地から、
レルヒの名を持つ20歳がジャンプの五輪代表選手で羽ばたいた。



「自分の名前の意味が分かったのは中1の時。その頃にジャンプも
飛躍的に上達したし、いい名前だと思った」。


ちなみに新潟県には「レルヒさん」なるゆるキャラもいるのです。


「県庁で1回会ったことがあるけどインパクトがなかった」と

あまり、ゆるくない指摘で対抗心を燃やしたのかも?

 

清水にとって大きな転機は高3の春だった。


「走ることは嫌いじゃないけど純粋に
ジャンプを飛ぶことが楽しかった」

と複合から純ジャンプへの転向を決意した。


渋る父には「俺の人生なんで俺に決めさせてくれ」と説得した。



転向2シーズン目の12年には夏のグランプリで優勝も経験した。

 

ところが、今季はW杯序盤戦で成績が振るわず、年末年始の
ジャンプ週間のメンバーから外されたほど。


「大丈夫かなと複雑な思いだった。」



清水と入れ替わった岡部はここまでW杯4戦全て予選落ち。



国内調整を進め、この日は名寄で北海道選手権を戦い、
勝った清水のもとに吉報が届いたのだ。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

ジャンプ日本 ソチ 銅メダル 葛西 涙 [スポーツ]



ジャンプ男子団体ラージヒル(LH)は日本時間18日未明に行われ
日本は合計1024.9点で銅メダルを獲得しました。


日本のジャンプ団体のメダルは1998年長野五輪の金以来
16年ぶりとなった。


優勝はドイツ、2位はオーストリアだった。


日本は2回目の3人目を終え3位に付け、最後に個人LH銀メダルの
葛西紀明(土屋ホーム)が飛んだが、逆転は出来なかった。

 

日本は2回目に入り、清水礼留飛が131.5メートルを飛び132.6点
竹内択(北野建設)は130.0メートルで120.5点となった。



伊東大貴(雪印メグミルク)は132.0メートルの127.0点、
最後に飛んだ葛西は134.0メートルで137.3点だった。



試合後、葛西選手のインタビューでの涙が印象的でした。

以下、インタビューの内容です。


「うれしいです。みんな頑張ったんで。(清水)礼留飛も
悔しい思いをしてきて、団体のメンバーに選ばれて
よかったと思う。(竹内)択も病気でも選ばれて、
一緒に団体に出られた事を本当にうれしく思う。
(伊東)大貴もヒザ痛めて、それでも4人で力を合わせて
メダルを取れてとてもうれしい」  と喜んだ。


とっても、感動的なシーンでした。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

カーリング女子 ランキング 2014 日本代表 最終戦 [スポーツ]



2014年2月17日に行われたソチ五輪・カーリング女子の1次リーグ
日本(世界ランキングク9位)と中国(世界ランキング5位)で、
日本が8-5と快勝しました。



そして、準決勝出場の可能性を最終戦に持ち越しました。



そして、その後、日本は、1次リーグ最終戦で 3連覇を狙う
世界ランク1位のスウェーデンと対戦しました。



勝てば準決勝進出チームを決めるタイブレークに進むことが
できたが、4―8で敗れ、通算4勝5敗の5位で敗退が決定した。



日本は第2エンドに2点を先行されたが、第3エンドに小笠原の
最終ショットが決まって2―2の 同点にした。


しかし第4、5エンドの最終投でミスショットが出て、
前半を終えて2―5のリードを許してしまった。


第6、7エンドに1点ずつを返して4―5と1点差に迫るも、
第8エンドではスウェーデンに2点を 加えられて4―7となる。



続く第9エンドも痛恨のスチールを許して、敗戦を決定づけた。



日本は、2次リーグ進出に、負けられない試合になって、
開き直ったのか、大いに維持を見せたが、
結果的には、第1戦で格下の韓国に負けたのが、尾を引いた。



これをバネにして、次の平昌オリンピックには、
好結果を残してほしい。




浅田真央 ソチ 金メダル 可能性 ジンクス [スポーツ]



浅田真央選手の金メダルの可能性について話します。


同じスケーターのスポーツキャスターで姉の浅田舞さんが
2月15日、大阪・高島屋でトークショーを行いました。

 

妹のソチ五輪女子フィギュアスケート日本代表、
浅田真央さんとは毎日のようにラインで連絡を
取っているそうで、

「今朝もラインしました。そしたら(直前の合宿地から)
ソチに移動します。前回のバンクーバーの時より
いい緊張感で仕上がっているみたい」

と明かしたそうです。

 

未明、金メダルを獲得した男子フィギュアの
羽生結弦についても言及したそうで

「女子の3人は、きっと真央も勢いに乗れるはず」と

話しているという。



さらに、フィギュア界では

「青い衣装を着ると金メダルが獲れる」と

いうジンクスがあるそうなので

「真央も(青の衣装を)持って行っています。
悔し涙よりうれし涙を見たい」と

祈るように話していたそうです。



ぜひ、ジンクス通り、青い衣装を着て、金メダルの
可能性を上げてほしいものです。



また、浅田選手は、自らの殻を破ろうとしているそうです。



フィギュアスケートを専門とするジャーナリストが証言した。

 

「代名詞であるトリプルアクセルをはじめとするジャンプが
真央ちゃんの最大の武器です。一方、目つき、顔つき、
滑らかな手の動きなど、女性の美しさを強調した演技が
苦手で、ライバルの後塵を拝する原因となってきた。
真央ちゃんはどうしても顔つきの幼さが前面に出ていました
からね。でもね、最近ようやく、自然に大人びた表情で
演じられるようになってきたんです。フィニッシュのときの
高揚した表情には内面の人間性が滲み出ていると思います」



ヨナ応援団の韓国人のコ・ソンフィ審判員問題もあるが、
真央ちゃんには、有無を言わせぬ演技で圧倒してほしいです。



よって、金メダルの可能性は、80%(願いも込めて)あります。






黒木華 銀熊 コンペティション 着物 [芸能]

第64回ベルリン国際映画祭の授賞式で15日(日本時間16日)
コンペティション部門に出品されていた山田洋次監督作
「小さいおうち」をオーディションでタキ役をつかんだ女優の
黒木華が日本人女優として4人目で最年少最優秀女優賞の
銀熊賞を受賞しました。


授賞式で黒木さんは、「グーテン・アーベント。こんばんは、
まさかこの場に立てるとは思っていなかったのでドイツ語を
もう少し勉強していればよかったと後悔しております」と挨拶した。


そして、「この場に立てるのは、本当にこんなに素晴らしい映画を
作ってくださった山田監督のおかげです。とても感謝しています」と
山田監督への感謝の気持ちを述べた。



「皆さんにこの映画を気に入ってもらえたと思うとうれしいです。
映画に関わった皆さんに伝えようと思います。本当にありがとう
ございました。フィーレン・ダンク」と喜びを表現しました。



記者会見では、撮影現場について「すごく刺激的な現場でした。
監督は、ずっとチャレンジし続けて、若々しくて、素敵な方です。
そんな監督を見ていると私ももっとついていかなきゃ、という
気持ちで毎日楽しかったです」と振り返った。



「私もタキちゃんのように静かにそこにいる人だと思うので、
そこは似ているかなと思います。でも、あんなに女性的に
いられるかなと思うと、ちょっといられないかなとも思いますね。
素晴らしい日本の女性ですよね」と映画で演じたタキを語った。


また、艶やかな着物姿で現地のカメラマンたちを魅了し、

「着物だとうまく動けないのですが、(受賞の瞬間)
 飛び上がりそうになりました」と

黒木さんらしい天然キャラのかわいらしいコメントもありました。



今回の受賞について審査員は、「『小さいおうち』には、いろいろな
タイプの女性が出ていましたが、タキは、その全ての女性を
つなぐキーパーソンとして大事な役どころでした。今回、女性陣が
活躍している作品がコンペティション部門の中に多数ありましたが
黒木さんの演技力が群を抜いていました」と評価した。



そして、「山田洋次監督に、賞をあげたいと思っていましたが、
他の作品への賞もあり、賞が足りなくなってしまいました。
その中で、女性を素敵に描いている作品として、黒木さんに
女優賞を差し上げましたが、それは山田洋次監督を含め、
作品を代表してあげたものです」と
山田監督と作品全体についても称えました。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:芸能

片づけ 全力教室 こんまり 2月16日 [話題]


昨日(2/16(日))フジテレビ系列の「全力教室」の話です。


ゲスト講師は、片付け女王・こんまりこと近藤麻理恵さん!


以前、仲間由紀恵主演ドラマ「人生がときめく片づけの魔法」で
話題になりましたね。


彼女の語りを目の当たりにしたのは、この放送が初めてです。


女性らしい、か細い声ですが、力強い信念が感じられました。


そして、熱い語りをされる女性だと思いました。


中学3年生の時に読んだ『「捨てる!」技術』をきっかけに、
とにかく、自分のものは、もちろんですが、家族のものまで
捨ててしまい、片付け禁止令を出された程だったそうです。


そこで目覚めたのは、捨てるものを探すのではなく、
残すものを見つけることだそうです。


それから、片づけの研究に努め、大学2年生の時に
コンサルティング業を開始しました。


人によっては思い出深い品々もさまざまで、何を残して
捨てるべきかが重要な一歩となる片づけに対し、
あるキーワードを投げかけるのが「こんまり流」です。



それが、「ときめき」という言葉です。


ここで、こんまり流の片付け術をまとめました。



まず、理想の暮らしを考えて片付ける動機づけとして


例えば


モデルルームみたいな部屋で優雅に暮らす。



理想の生活をしっかり描きましょう!!



目標が決めたら、片付けを始めましょう。


モノ別に片付けるのが良いでしょう。



正しい順番としては、



①洋服  ②本類  ③書類  ④小物類 ⑤思い出品


ときめきしやすい順に実際にやりましょう。


洋服を片付けるなら部屋に家中の
洋服を集めてみる。


オフシーズンの洋服から選ぶ


あくまで、ときめくかときめかないかで決める。


ときめくって分からないなら、そのものが
自分を幸せにするかしないのかで決める。



本の場合は、読み返すのはやめる。
ときめかない本は一回すてる



料理本は使う時、ときめくレシピだけ切り抜く。


書類は全て捨てる 、必要な書類だけ取る。


未処理書類はまとめて、処理する。



小物類は、お役目が終了してるものを決める。


思い出品は、ときめき感度が上がり、最後に行なう。


無駄なもの買ってしまったと思ったら、捨てる。


そして、反省する。


「あるに越したことはないは」は、禁句


収納は、戻す場所をちゃんと決めてあげる。

収納の原則⇒ たたむor立てる


空気を減らしモノの体積を減らす


靴下も基本たたんで立てる


スーツやコート以外の


畳めるものは基本たたむ
とにかくたたむのがよい。


どうしたら子供が片付けられるようになるのでしょう。



最初に洋服のたたみかたを教えるとその後のしつけが
しやすくなるようです。


一生に一度、 ときめくかときめかないかで、
たとえ、多少の時間かかってもやれば
必ず片付けられます。



役目の終わったものは、ありがとうと言って
お別れしましょう。



どうですか、皆様も、こんまり流で片付けしませんか?


彼女は、「片付けでモノを捨てると人生が劇的に変わる」
とまで言い切ります。


残すものを選ぶ方が、捨てるモノを選ぶより
きっと心は、晴れやかになります。



最後に、彼女は「私の見極めた人で、リバウンドした人はいない」
と言っています。



この自信こそが、人に説得力のある「片づけの魔法」をかける
根拠になっているのかもしれません。



最後まで、読んで頂き有難うございます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:住宅

葛西 レジェンド 海外 反応 [スポーツ]



ソチ五輪ジャンプ男子ラージヒル決勝で7度目の出場となる
葛西紀明(41)は、1本目139メートル2本目133.5メートルで
合計277.2点で銀メダルを獲得した。


葛西の個人メダルは初、日本選手団最年長でのメダル獲得となった。


金メダルは合計278.7点でポーランドのストッフが獲得し、
ノーマルヒルと2冠を達成した。



直前に行われるはずだった試技が不安定な風のため
中止となり、競技開始も15分遅れました。



ぶっつけ本番で臨んだ1回目のジャンプで、アクシデントを
ものともせず41歳の 「レジェンド葛西」が飛びました。


低い姿勢から飛び出すと、きれいな飛形姿勢をキープした。


後半で伸びを見せ着地もしっかり決めてみせた。


最長不倒となる139メートルの大ジャンプで
140.6点を獲得し1回目で2位につけました。


気まぐれな風に他の選手が苦しんだが、
葛西選手は、2回目も安定したジャンプを見せ、
133.5メートルを飛んだ。


得点を確認すると日本選手団の4人で抱き合って喜んだ。


もう、凄いとしか言いようがありませんね。


心・技・体全てにおいて世界トップクラスであることを
しっかりと魅せてもらいました。


メダルへの執念と努力に世界も驚き、賞賛しています。


#Kasaiというハッシュタグがあるそうです。


ここに世界中からツイートされています。


日本人だけでなく世界中から認識されている
ハッシュタグがあるということが、葛西選手の
レジェンドぶりを表しているとも言えますね。


漢字で葛西ではなく、Kasaiということですね。


『22歳で銀、42歳で銀!尊敬します。』


『MY HERO FOREVER』


『年齢は単なる数字に過ぎない』



とんでもない量のツイートが世界中で
巻き起こっています。


日本だけでなく、世界の「おじさん」に元気を届けたのです。


同年代のおじさん方が、影響受けるのは間違いないでしょう。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

羽生結弦 ソチ 時間 疲労 [スポーツ]

日本時間15日、ソチ五輪フィギュアスケート男子フリーでは、
19歳の羽生結弦(ANA)が、ソチ五輪初の金メダルを獲得しました。



冒頭の4回転サルコーで転倒するなど2度のジャンプ失敗にも
気持ちを切らさず、こん身の演技をしてカバーしました。



SPで世界最高得点を出した羽生は、そのアドバンテージを生かし、
フリーで1位(178.64点)合計280.09点としました。



2位のパトリック・チャン(カナダ)を抑えて逃げ切りました。



羽生選手は、フィギュアの日本男子では
五輪初の「金」となる快挙を見事に達成しました。



フィギュアスケートでは2006年トリノ五輪女子の
荒川選手以来2人目で、男子では初となりました。

 

日本勢は、SP11位の町田樹(23)は、合計253.42点の5位
高橋大輔(27)は合計250.67点で6位に終わりました。

 

19歳の若武者が、歴史に新たな1ページを刻みました。



SP首位で迎えたフリー演技ですが、やはり緊張のせいか、
冒頭の4回転サルコーでいきなり転倒した。



3度目の3回転フリップでも着氷が乱れました。



両手を突くなど本来の実力を発揮できなかった。



しかし、流れるようなステップ、スピンと
世界NO.1の技術で失敗を十分カバーした。



演技を終えた羽生選手は、肩で呼吸を整えながらも
疲労の様子は、隠せない。



しばらくは、動くことができませんでした。

 

暫定1位の羽生の後に残り3人になった。



そして、そこには、難敵パトリック・チャンもいたのだ。



しかし、元世界王者の得点は、結果的に
羽生選手の得点をわずかに下回った。



「驚きしかなかった。うれしいとかそういう感情はなく、
自分の演技の悔しさしかなかったので」(羽生選手談)。



後続も羽生選手の得点を超えず、ついに金メダルが確定した。



フィギュアの男子では初の頂点となったのだ。



表彰台の中央に立ち、

「花束をもらって、うれしかった。早く(金メダルを)見てみたいです」と

笑顔をみせた。

 

仙台出身の羽生選手は、東日本大震災で、自身が
練習していたリンクも被災するなど大きな痛手を追った。



3年前には、名前が似ていることから話題となった
弓弦羽(ゆづるは)神社(神戸市東灘区)には、母と参拝した。


 
絵馬には「世界のトップになれますように、そして、東北の光と
なれるように!」と16歳の少年は、世界一への決意と、
復興の願いを込めました。



そんな少年は、たくましく成長し、被災地にも
勇気という名の「光」をソチから届けました。

 

「結果としてすごいうれしいと思う反面悔しいと思うこともある。」


快挙を達成した羽生選手だが、満足する様子は、まったくない。


4年後の冬季五輪では「絶対王者」として、羽生は君臨するのだ。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ
l

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。